おじいちゃん、おばあちゃん・・・祖父母について。自閉症の孫をどう受け入れていった?

日常

こんにちは!!ころんとです。

最近ふと思ったこと・・・子供が自閉症とわかり、親もその事実を受け入れるまでは時間がかかるが、おじいちゃん、おばあちゃんはどうだろうか?

おじいちゃんとおばあちゃんはどのように受け入れていくものなのか?

我が家は私、ころんと家とマンマ家では正直180度違うので今回はころんと家のおじいちゃん、おばちゃんの模様を書いていこうと思う😃

ころんと家の祖父母達

それではまずは私、ころんと家から🏡

私の家は兼業農家で父(祖父)は大工で昔ながらの亭主関白で母も(祖母)も典型的な田舎の母という感じでなんでもどんぶり勘定な感じである。

ムテ吉が自閉症であることを話した時も何それ❓❓治るんでしょ❓❓的な感じであった💦

理解してくれるためにはなかなか苦労をして、簡単に分かる自閉症の本などもあげたのだが多分見てない(折り目もつかずに置いてあった😨)

お陰でマンマは育て方が悪いような言い方をされたり、うさ子が生まれてからはうさ子ばかり可愛がったりと嫌な思いを沢山したと思う。

祖父の性格は自分を中心に世界は回ってると言えば分かりやすいだろうか・・・結構面倒くさい😱

祖母は新しいことが苦手で変化を嫌う。そして噂好きでデリカシーが余りない。これもなかなか面倒くさい😱

改めて書くと私の父母はなかなかに濃ゆい😵ため息をつきたくなる感じだ😫

マンマ家の祖父母達

一方マンマ家の方々。

まず、義父はなかなか独特の人であるが、人をよく見て分析できる方で、面白い人😜

義母は面倒見が良くとても柔軟な考え方の持ち主で面倒見がよい😚

2人ともムテ吉が自閉症スペクトラムと打ち明けた時もすんなりと受け入れてくれて、どういう障がいか?どうすればいいのか?

など色々と調べてくれて、テレビで発達障がいの特集などあると連絡をくれたりと本当に協力的で感謝しきれない😭

本当に対照的である💦

協力してもらうことについて。

両実家の場所なのだがころんと家は車で15分程度の隣町。マンマ家は県外で車で1時間半ぐらいの距離がある。

我が家は私ころんとが介護職で勤務時間が不規則💦、マンマもパートをしており、幼少期は特にどうしてもムテ吉やうさ子を見れない時は必然と近くのころんと家の祖父母に協力を仰ぐ事が多い💡

どうしても都合で見て貰わないといけない時はころんと家の祖父母には注意点などを細かく教えておくのだが、最初は障がいというものをよく理解していないため、ムテ吉は言うことを聞かない・・・というか扱いがわからなく、うさ子ばかり可愛がって、私はやるせない気持ちでいっぱいで、マンマはそれ以上💦

一時期とても気まずいギクシャクした関係になっていた😥

一方のマンマ家の祖父母は相談ごとをよく電話で聞いてもらい、遠方の中、月に1回は来てくれて、色々持ってきてくれたり、買ってくれたりと本当にありがたいことばかり✨

そんな対照的な両家。子供達も成長とともに両家の祖父母に対して変化が・・・たまにしか来ないのに子供達がころんと家の祖母より懐いている😅まさに子供は正直だなと感じた。

変化

ここまで書いているところんと家の祖父母、なかなかのものだな💦と思ってしまうが少しずつ変化があった💡

まず小学校への入学は支援学校に入学となり、ムテ吉が普通の小学校へは行けないということを知り、言葉も全然話さないのでさすがに小学生が話せないのは何かある!!と思ったことだろう。

そしてころんと家の従姉妹が福祉の仕事に携わっていたり、近所に同じ支援学校を卒業した子を持つお母さんが居たりして、そのような話をされていたのだろう。

いつか喋る、とか治るとかそういうことをいう事が徐々に減っていったのである。

考えてみたらやっと出来た待望の孫、子供と違い、

『ただ、思いっきり甘やかして可愛がる』

という事が出来ないのである。それを受け入れるのは親同様とても大変な事なのだろう😥

周りの人々やムテ吉の状態を見ながら長い時間をかけて徐々に受け入れていったのだと思う🌥

よく祖母がマンマと同じことをしても笑わないと言っていた💦

ムテ吉は幼少期は特に好きなものや興味の対象が狭かったので、何をやれば喜ぶのか?笑ってくれるのか?全くわからなく、どう接していいのかわからなかったのだ・・・

そんなムテ吉も少しずつ成長し、好きなものや嫌いなもの、喜ぶことや嫌なこともわかりやすくなり、大きくなっても

『ぺたっ』とくっついてくるので最近は祖母は成長して大人びてきたコメントをするうさ子より可愛がる時も出てきた(笑)

そしてギクシャクしていたマンマとの関係も今は良好で私を差し置いて2人で話していることもしばしば✨

何話しているのか気になるがいいことなのでそこは聞かないことにしている(笑)

一方、マンマ家の方はムテ吉が幼少期の頃から現在まで一貫してスタンスは変わらず、とにかくムテ吉を理解してくれて、うさ子へのフォローも忘れない。そしてマンマや私をとても気遣ってくれる✨本当に頭が下がる思いである😄

何が凄いって、それはムテ吉(うさ子も)を全く障がい者扱いせず、子供扱いせず、

『1人の人間として扱ってくれるところ‼️』

これは誰もができることでは無いと思うし、私も見習わなければならないと思う。

だから叱る時は叱るし、褒める時は褒める。

そして子供達は懐いて懐いて、たまにきた時は私はお払い箱状態(笑)

本当に素敵な方々である。

まとめ

我が家は両家で本当に180℃違う祖父母達で同じことを言っても全く違う返事が来る😅

ここまで真逆は珍しいが、何より両家の祖父母が元気なのは何よりの事で、いなければ我が家は成り立たなかったろう事が多々ある。

自閉症スペクトラムや発達障がいを持つ親御様はもちろんだが、その親族、特に祖父母の方達も受け入れるまでは本当に大変なことだと思う。

思い描いていた孫との老後とは違うものなのだから・・・

私的には長い時間をかけて少しずつ受け入れていって貰うこと、これが1番遠周りのようで近道なのかもと最近感じていて、もし、なかなか受け入れられない祖父母達であっても繋がりを持ち続けて、その時を待つことも大切かと思う。

周りの人への感謝を忘れずにいたいと思う今日この頃、そんなブログでした♫

おしまい🎵

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